SSブログ

博士号を捨てて。 [研究]

http://www.asahi.com/edu/university/zennyu/TKY200705220121.html
http://www.asahi.com/life/update/0526/TKY200705260053.html

就職を決意したのはちょうど半年前の11月

学位取得まで残り4ヶ月近くにもなって就職活動を始めた。

試験を受けたのはわずか3社
問い合わせをして駄目だったのは1社
幸いなことに最初に面接を受けた企業で、スムーズに話しが進み年内には、ほぼ決まりだった。

最初は営業で出したのにすぐに研究開発職にまわされた。
営業が駄目という訳ではなく、博士号を持っているなら

より高度な知識と経験を持って、将来には営業に送り込みたい

そういう意図があったことを入社してから知った。

面接との時

博士号を取る人間がなぜ企業に?

何度も聞かれた。
博士はすぐに辞めてしまう。
それが面接を受けた会社の本音らしい。

理由はいっぱいある。

1.結婚がしたかった。

今の彼女と一緒に暮らしたければ、企業で職を得る方が確実だった。
彼女が研究者なら、二人でアメリカに渡る選択肢もあったけど
普通のOLの彼女に任期職の旦那と一緒にフラフラさせる気にはなれなかった。
もちろん、アカデミックの世界で研究を続けたかったし、それが子供の頃からの夢だったけど。
安月給でも良いから、任期無し、そして自分がやりたい(他人からも面白いと言える)研究。
そんな仕事がしたかった。

父親は大学の研究者だ。
俺とは違い、理論の分野で生きており、「紙と鉛筆があれば良い」
そう言っている。

子供の頃は、父親が寝ころんでボールペンを持ち、紙に向かってる背中に乗ってよく遊んだ。
朝はゆっくり起き、夜遅くまで考えこんでいる。
仕事は自分の好きな内容で、職は保証されている(今は公務員じゃないから違うけど)。
能力さえあれば、こんな世界があるなんて羨ましくて仕方なかった。
時間にも生活にも余裕があったから(というか父親は雑学の本を読む以外、無趣味に近い。。)
よく遊んでくれた。

当時はバブルで安月給とも言われた公務員が
今では既得権益の固まりにみえるのだから、世の中ってヤツは信用できないとつくづく思う。
ただ無理はしない生活だったし、兄弟共に大学を出るまで国公立だったからお金に困ることもなかった。

世間からは冷たい目で見られる生活かもしれないけど、
父親の研究室の学生が就職に悩むことはなく(むしろ引っ張りだこ・・・)
本人の研究業績や企業との研究、雑用なども充分世間に貢献していたと俺は思う。

風向きはいつから変わったかは定かではないけど、独立行政法人化した時には
もうアカデミックの世界は完全に生存競争に変わっていた。

安月給、好きな仕事、安定な職

仙人みたいだな・・・・

それが

安月給、プロジェクトの仕事、任期職

・・・・ほとんど水商売?

しかも

助手の公募倍率は200倍かな?(父談)

ついでに助手は

昔より雑務は20倍やで?

だってさ。。

今じゃ企業並みの責任、学生の教育(もはやお守り?)、すぐに役立つ研究
誰が残るんやろね・・・・・。

2.学生支援機構(日本育英会)奨学金
 研究職に残れば、返済期間の猶予から免除へ
そんな仕組みは消えて、1/3の人間が半額あるいは全額の免除。
残りは返済。
借りたモノは返さないといけない。そう考えたら、任期職でいつ無職になるかわからない状態はできない。

無職になれば、返済するのは兄と父親だ。
そんな迷惑は掛けたくない。

免除の基準は決まっていないようなものだ。
業績優秀なものとか学業以外で業績があるとか、取り敢えず「凄いヤツ」と言うべきか。
申請書は出してみたけど、どーせ無理なことは知ってるから何にも期待していない。
免除なら面接に呼ばれるけど、呼ばれてないから意味はない。

免除システムが無くなってから、博士の進学者は大幅に減ったそうだ。
まぁ俺らの代はバイオ全盛だったからなー、。
ただそれを考えても博士は人気がない。少子化も進行する。

もう競争力を上げる前に体力が落ちて朽ち果てていく大学の姿しか浮かばないな

何人かの大学の先生と話したけど
学生なんだからお金で苦労するのは当たり前、と言うスタンスはほとんど変わらない。
お金で苦労と言うより、親にどうやって負担をかけないか?と言う視点はもはやない。

大学関係者ってのは、自分の世界に籠もりがちなんだろう。
一回、外の空気を吸っておくべきか。
自分が理想とする男となる為に。
実際、会社の人達は色々居るけど、それでも社会で生きてる。
そう思う。

・・・・・・なんせ

挨拶ができる!!!!

それすら出来ない人間の多いこと・・・・>大学人

3.研究
行き詰まっていた。
まぁ結果は同期の連中の中でも出ていた方だけど、とある教授に振り回されて
最後は全然まともに進まなかった。邪魔されなかったらなー・・・・今でも思う。

自分の研究が嫌いだとも好きだとも思わなくて、博士号を取る為の訓練だと割り切っていた。
自分がしたい研究はもっと別のものだったから。
それでも手を抜くつもりはないから、必死に研究をしてたら
教授が乗り気になって、ガシガシ口を挟んでくる。そして段々自分の研究がどうでもよくなる。
どーやら口を挟まれるとそっぽをむく性格らしい。

たたみ掛けるかのように、殆ど同じテーマと言うより同じテーマで後輩が研究を始める。
教授の言うことをあまり聞かない俺に業を煮やした教授が強引に手を付けさせたらしい。
(他人の結果を後追いをさせて何が楽しいんだ??と俺は思った。)
実験材料は、俺が出した。
その人(後輩だけど年上)は嫌いじゃないし、むしろ良い人だったから。
もしこの世界でのし上がりたかったら、蹴落とさないと駄目だったんだろうな。

こりゃ・・・この世界、特に実験系に向かないな。
そう思ったのが博士3年の春頃。

徒弟制度が生きてる世界だと、上に座った人間に左右される。
幸いなことに、会社は縦も横も繋がりが色々できはじめるし
上司が異動もすれば、自分も異動する。
今の上司は、最初冴えないなと思っていたけど、、、

・・・・自分が知ってる中でもかなり上位に入るくらいできる人間だ。

話しを戻すと

医学系だった俺の部屋は上意下達が絶対だった。
それでも俺は意見は言ったけど、今時の周りの学生は下を向いて黙りこくる
そして不満は内にこもる。
雰囲気も悲惨になり始めていた。
俺の後輩連中に自己研鑽と言う言葉はなかったみたいだ。
まだ言い返す俺は、良くも悪くも認められていた。
直属の指導教官は笑いながら言ってたっけ。

教授は残るものと思いこんでいたようだ。
内定を貰うまで、俺は報告しなかった。

残したいなら条件交渉でもしてこい

そう思っていたくらいだ(笑)

あとで聞いたら400万くらいがうちのポスドクの給料らしい。
それでも今の博士研究員としては、かなり良い方。
会社に入ったけど、多分、来年には越えるな・・・・余裕で。
と言うか、ボーナスとか入れると今年で越えるかもしれない。

これで任期制で、しかも教授の言うことを丸々聞かないと生き残れないなら
何の為のアカデミックなんだ??

企業に入って

正直な所、大学の方が気楽だと良く分かる。
8時半から始まる会社は、神経がぴりぴりする。
一時も息が抜けないし、抜く場所なんて何処にもないかな。
食事の時間は決まってる。隠れて一休みの場所はない。
ネットサーフィンなんてとてもとてもw
それでも日経見たり、PubMedみたり、調べものには使うけどね。
ゴムはたまにはゆるめないと。
まだ仕事の生活リズムにはなれていないのが大きいかな。

あと仕事は期限付きだから、計画はよく練る。
しかも営業が振り回してくれてる・・・。
営業が直接開発に仕事を持ってくるから、課長も把握してない仕事がぽこぽこ来る。
不満が少々顔に出ていたらしい。
課長に二人っきりになった時に聞かれた。
思う所(命令系統の欠点)を言ってみた所、課長も把握していたらしい。
部署の会議で変わることになった。
仕事を上手く割り振って、部署で取り組んでいくことになった。
命令体系を変えるところは、柔軟性に富んでるなぁと思う。

とは言ってもまだ新人だから、そんなことより目の前のことを呑み込まないとな。
ただ仕事量をコントロールできない先輩を見ていると歯がゆいけど。

研修は豊富だ。
コーチングの研修やら、昇進するともっと色々あるらしい。
自己研鑽はしやすいし、大学の連中にも研修は受けさせるべきだな。絶対に。
準教授になる為にこれだけの研修が必須とか、そういうのはあるべきかもね。

でも8時には「帰れ!」って命令が来るだけでも、体調管理は最優先してくるのがわかる。

ただ頭は使わない。
正直な所、考える前に行動している状態。
それでも考えてる方らしく、一人の先輩に感心された。。。。
まー、3年間考え続ける生活だったからなー。
教授との駆け引きでも色々勉強したし、色々あったからそれなりに不満の自己昇華も出来てる。
それなりのノウハウは得ていたようだ。

今は彼女と結婚の段取り話をするのが楽しい。
今の家で一緒に暮らすかと思うと、この選択肢も間違いじゃない。
そう思う。

生涯に稼ぐお金も
人生の目標を一つ失ったかもしれない

博士号は捨てた

けど、大事なものをきっちり掴んでいると思う。
博士号なんて無くても生きていける。

Drと名刺に書くことはできたけど、俺は普通にMrにした。
本当にDrと認めてくれるならば、自分から口にしなくても相手は認めてくれる。
俺はそう思う。

分野は分子生物学で、今の仕事は完全に化学だ。
学部は合成化学だったけど、その経験は殆ど生きていないのも面白い。
なのに普通に仕事をしているらしく、驚かれていた。
来年、一人くらい博士卒の学生採らないかな?(w

大学教員の父親が科学界に残ることを勧めなかった。

就職の話しをまだ親にしていない時、
父親が母親に言っていた言葉が

「しばらく、あいつに生活援助し続けないとあかんかもな・・・」

お勧めしないものでも余り口にはしない父親

就職を決めた時に「無駄な投資をさせてもた」と言ったら

「後を振り返るな」

そー言われた時、少なくとも3年間磨いた知識じゃなくて、経験を活かす場面を作ろうかなと思った。
あとは孫を見せつけること、かな。

余談。
部長(扱い)の人に言われた。

課程博士だろ???

知らないことがいっぱいある。

それを知ってるのが博士なんだ


業績があるから博士号を貰うのは論文博士で良い。

そー言われた。
ちなみに、その人も博士号を持っている。

とある海外の研究者にも言われた。

Thesisをdefenseして、審査員がそれを認めてサインすれば博士だ。

博士って・・・なんだろうね。
ただ言えることは、博士号の価値は暴落していて
科学界の研究者の存在を社会は認めてなんかいない。
いますぐ役に立つ研究をするのが科学界の研究者らしい。
企業研究者の方がそれなら役に立つけどな、どー考えても。



何にも推敲せずに書いてみた。
誰も読まないだろうけどw

今、自分の夢が終わったことを確認する為に。
5月27日 早朝


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。